櫻山神社 | 由緒

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南部信直公と盛岡城の築城天正十九年(1591)九月、南部信直公は浅野長政らの助言に従い、この地に新しい城を築く決心を固めました。この地は北上川と中津川の合流点に近く、城を築くには格好の場所でした。慶長二年(1597)三月六日には築城の地鎮祭「鍬初」が行われ、不来方の地名を森ヶ岡、後に盛岡と改められました。
  

  


 当社は、江戸時代中期の寛延二年(1749)、盛岡藩八代(南部家三十三世)利視公により盛岡藩初代(南部家二十六世)信直公の御遺徳を偲び、城内淡路丸(本丸東側)に神殿を建立、九月二十六日、その御神霊を勧請して淡路丸大明神と尊崇し奉ったのに始まります。
盛岡藩十一代(南部家三十六世)利敬公は文化九年(1812)八月十三日に櫻山大明神と改称、この名称は、淡路丸が櫻山と称されていたことに因みます。また利敬公は同十五年(1818)四月に南部家初代(開祖)光行公を合祀しました。
盛岡城が明治政府に接収された後、明治四年(1871)九月、御神体を盛岡市茄賀野村妙泉寺山に仮遷座、同十年(1877)五月二十日に盛岡・下北山の聖寿禅寺跡に新社殿を造営し再遷座いたしました。この地域を今でも旧櫻山と称されるのはこの事に由来します。
明治十四年(1881)一月、県社に列格。明治二十三年(1890)、旧盛岡城地が南部家に特別縁故によって払い下げられたことを契機に、旧盛岡藩士族また旧盛岡藩領民より、旧城地への遷座の機運が盛り上がり、盛岡城旧三の丸 鳩森下曲輪跡(御蔵跡・勘定所跡)に明治三十二年(1899)神社敷地を造成、今日にみられる本殿、拝殿、神門を建立し、明治三十三年(1900)十月二十六日奉遷鎮座されました。
大正元年(1912)十月に盛岡藩三代(南部家二十七世)利直公、盛岡藩十一代(南部家三十六世)利敬公の御尊霊を合祀して永く郷土守護の神と崇め奉りました。
利直公は信直公の長子で盛岡城の完成と盛岡の町割りを成し遂げ、盛岡市の基礎を築いた英主であり、利敬公は朝命を奉じて北海道室蘭海域の警備に従われ、その功によって明治四十一年(1908)従三位追贈の恩命に浴された名君であります。
終戦後、神社前には県道が通り新しく商店街がつくられるなど景観は変わりましたが、盛岡城の往時を偲ばせる雄大な石垣と本殿後方の鳥帽子岩は盛岡城築城時と変わることなく悠然と聳え立ち、今でも櫻山さんと親しまれております。